
インタビュー
私のキャリアは、他の多くの会計士と同じく、会計士試験合格後、大手監査法人から始まりました(2006年3月入社)。関西出身で大学まで地元で過ごしましたので、漠然とした憧れもあり東京事務所を選び、これまた何となく将来に繋がりそうだという直感で国際部を希望し配属されました。その部署での業務は通常の国内監査もありつつ、日本基準とUS-GAAPの組み替えといった業務もありました。その後、もともと独立志向(非サラリーマン志向)もあった私は、経験の幅や成長スピードを増すため中小監査法人の大阪事務所に転じ、狙い通り、若いうちから監査現場の主査や大手監査法人ではなかなか経験できない民事再生案件、粉飾決算案件のリステイトメント業務といった濃い経験を短期間で積みました。
監査や財務DDなども一通り出来るようになった頃(2012年)、当時の上司がたまたまミャンマーでの財務DD案件を受注してきて、私にその仕事が回ってきました。初めてのミャンマーでの仕事は本当に“全て”が予定通りには進みませんでした。初日のアポは、突然に発表される祝日によってキャンセルされ、2日目はアポ相手の現地会計士が3時間待っても現れず、来たと思ったら「帳簿は無いから見せられない」の一点張り。日本人、特に普段、上場企業を相手の監査をしていることが多い日本の会計士からすると、非常にストレスフルな状況に感じると思います。ただ、私にとっては、こういったカオスな環境が”全て”がビジネスチャンスに思えました。2011年に民政移管されたミャンマーは2012年当時「最後のフロンティア」と呼ばれ、多くの日本企業が注目していた国でした。非サラリーマン的な生き方を志向するには、大手監査法人の国際部よりも中小監査法人の大阪事務所でキャリアを積む方が近道と考えて転職した経緯から、「非サラリーマン」と「海外」はトレードオフと決めつけていた自分にとっては、新たな発見でした。つまり、「この市場で、自分でビジネスをすれば、自分が志向していることが全て実現可能なのではないか」という考えが私の中で生まれたのです。初のミャンマー出張から帰国した後、(当時)話題のミャンマーへの訪問経験のある日本の会計士はほとんどいなかったので、ミャンマーセミナーをやるなどして、自分のミャンマーに関する知識を増やすと同時に、ミャンマー縛りで転職活動を開始し、ミャンマーで(サラリーマン的ではなく)裁量のある立場で仕事ができる会社を探しました。そこで出会ったのでが、当時東南アジアでどんどん拠点を増やしていたSCSでした。
上記の流れを経てSCSミャンマーに入社した後は、「拠点長」としての仕事に従事しました。わかりやすく言うと、経営者兼専門家ということになろうかと思います。日本で監査法人2社を経験しましたが、その時との一番の違いは、会社に関する全ての権限と全ての責任を背負う立場になったという点です。後輩の皆さんなどからは「何故海外に?しかもミャンマーに?」「日本と海外で何が一番違いますか?」といった海外に着目した質問を頂くことが多いのですが、キャリア上重要な変化あるいは収穫は、国がどこかということよりも、30歳で経営者ポジションに就けて、しかも立ち上げ期の苦しい時期を経験できたことだと思います。
ミャンマー事業と並行して、カンボジア法人の立ち上げフェーズに関与したり、ベトナム法人にも関与しつつ、入社4年目からはグローバルパートナー(SCSでは、個別の国の「拠点長(=ローカルパートナー/ディレクター)」の域を超えてグループ経営に責任を有する職位をグローバルパートナーと定義しています。)として、グループの人材戦略の中心となる中途採用や、新規拠点の立ち上げなども担当しています。直近では,2023年からスタートしているメキシコ事業を担当しています。
SCS-Invictus グループの大きな魅力は、グループ総勢500人を超える規模になっても、良い意味で“人”に依拠した会社だということです。我々のように多くの国に展開し、かつ税務などその国独自のことも多い事業においては、トップダウン一辺倒のグループ経営では成り立ちませんから、各国の拠点の責任者に最大限の権限移譲をすることが必要になります。そういった事業環境下で、自然と自主自立(自律)を価値観として共有する人材が集まり、それぞれが自分の持ち場で裁量を持って使命を果たすということが行われています。
そのような人材が各国に根を張り、その国の人たちと共に現地実務に精通したチームを作り上げることがSCS-Invictusグループの伝統であり、20余年の歴史の中で培われた唯一無二の強みになっていると言えると思います。
これは自分自身の実感として感じていることですが、「“言い訳探し”を止めると世界が違って見える」ということです。弊社のリクルートページを開いてくださっている皆さんは、海外志向の方が多いと思いますが、会計士×海外というキャリアは、単に国内で転職するよりも、仕事環境だけでなく生活環境も一変しますし、挑戦の色合いが濃いものになります。ただでさえ、日本国内で恵まれた環境にいる会計士という人種はそれを捨てるのが大変です。
一般的に、20代後半から30代にかけて、職場での責任も増し、プライベートでも結婚、子育て等の人生のイベントが続々と訪れることで、挑戦しない「言い訳探し」は容易になります。その結果、若手会計士がどんどん保守的なキャリアに収斂されていくように感じます。
今の仕事から自分が抜けると周りが困るから、結婚したから、子供が生まれたから、まだ準備(例えば語学力)ができていないから、家族に反対されたから、等々、挑戦を止める理由はたくさん見つかります。
私が国内監査法人からSCSに転じることを決断し、ミャンマーに行った頃、娘は1歳半、息子は生後2ヶ月でした。今になって冷静に考えるとかなりクレイジーな父親ですが、妻と幼子2人を連れ、ほとんど準備期間もなく、ミャンマー移住を決行しました。日本人にとってはかなり厳しい生活環境の中、孤軍奮闘で事業の立ち上げフェーズ(初の経験です)をやるわけですから、日本で生活し監査法人勤務する場合の何倍もの濃さの人生を一気に味わった感覚でした。自分の人生やキャリアにとってのインパクトという意味では、ミャンマーでの最初の1年だけで、それまでの日本の監査法人で過ごした7年を超えた感覚でした(もちろん監査法人でのキャリアというものは会計士にとって重要ですので、それを否定する意味ではありません)。
個々人の人生観、仕事観、就くポジションなどによって、海外生活、海外勤務から得られるものの大きさや範囲は様々だとは思います。ただ、島国日本で生まれ育った日本人からすると、海外に出ると、大なり小なり何かしらの「異」があることは間違いありません(「異文化」「異質」「異次元」?)。そして、この「異」が人生のスパイスであり、豊かな人生の隠し味のような気がしています。
SCS-Invictusグループでは、ひとりひとりが主役であり、我々は社員ひとりひとりが自ら望む人生を謳歌して欲しいと願っています。皆さんのご応募をお待ちしています。